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サンバでサンパウロと日本を繋ぐ!ブラジル現役メストリサラ 三由翼

今回の特集はサンパウロのサンバチームに所属し、現地でも称賛を浴びる男性サンバダンサー三由翼(Tsubasa Miyoshi)さんです。

サンパウロのサンバチーム、Império de Casa Verde(略=インペリオ)に2006年から所属し、同年にメストリサラ(Mestre Sala:旗をもつPorta Bandeiraの女性をリードする男性)に抜擢され、2度の優勝を経験。日本ではサンバチームのリベルダージに所属。仕事では法人の代表として、スタジオの運営・レッスンやサンバ衣装の制作販売などの事業を展開。また、羽を使ったフェザーアート専門の会社も運営し、羽根のインテリア、テーブルデコレーション、ウェディング演出など、芸術的な作品を送り出しています。

日本とブラジルを行き来し活躍している翼さんですが、サンバとの出会いから今日に至るまで、何度も人生の選択を迫られました。その選択とはいったいどのようなものだったのでしょうか。

サッカー少年がサンバに出会うまで

サッカー少年だった翼さんの夢は「プロサッカー選手になりたい」。12・13歳の頃には「ブラジルにサッカー留学をしたい」と親に相談するほど、サッカーに打ち込んでいました。

憧れの選手はサンパウロFC出身で、日韓ワールドカップの優勝メンバーでもある、元ブラジル代表のジュニーニョ・パウリスタ。小柄な翼さんは、165cmほどの同じく小柄なジュニーニョに親近感を覚え、お手本にしていたそうです。

高校ではサッカー部の顧問が練習中にリズム感や力が抜ける感覚を学べるようにと、サンバ・ジ・エンヘード(サンバチームのパレード曲)をかけたりすることもあり、ブラジルとなんとなく縁を感じる環境ではありましたが、もし、サッカー選手になれなかったとしたらスポーツトレーナーになろう、そのために早稲田大学のスポーツ科学部に進もうと考えていました。

そんな翼さんに人生観が変わる出来事が起こります。サッカーの試合中に自分のミスがきっかけで失点を連続し、「サッカー選手の夢はもう無理かな」と悟ってしまう瞬間が訪れたのです。それから一気にスポーツ科学部に入るモチベーションの火が消え、ふと目に留まった臨床心理、精神医学、福祉に切り替え、早稲田大学人間科学部 健康科学科(心理・教育・福祉専攻)に進学しました。

「大学に入学したのはいいものの、友達もいない。あんなに大好きだったサッカーもやりたくない…。鬱鬱と大学生活を送る毎日で発散する場がなくなって、とにかく暗かったです。」と振り返る翼さんですが、ただそんな中でも率先して研究会を立ち上げたり、大学の中で調査に参加したり、大学院生の部屋に通ったり、教授ともコミニューションとったりと積極的に動いてはいたそうです。ちなみに卒論のテーマは「うつ病の集団認知行動療法における適用と効果」でした。

大学3年になると病院の精神科で当直の看護補助のアルバイトを始めました。初日に研修をしてくれた一つ年上の人が、ウニアン(学生サンバチーム ウニアン・ドス・アマドーリス)でサンバをやっていて、夜中に話を聞いているうちに面白そうだなと思いパレードを観に行くことにしました。そこで感じた、スルドの音圧、華やかな喧噪。それらに感銘を受け、鬱鬱とした反動もあり、「サンバをやりたい!!」。サッカーの熱が冷めてから、初めて新しいことが始まる予感がしました。

そこで早速サンバチームを探しました。早稲田大の学生であれば、関東の大学生を中心に構成されるサンバチームのウニアンに入るのが自然なことですが、同学年が苦手だったので、社会人サンバチームの中から選ぶことにしました。いくつか周り、最終的にたどり着いたのが現所属チームのリベルダージ(G.R.E.S Liberdade)でした。

サンバを初めた1年目はダンサーで、2年目からはより充実感を求め、チームの旗を守る大役のメストリサラになりました。



進路の変更、ブラジルへ

大学3年でサンバと出会い、4年でサンバを始め、誰もが卒業後は大学で学んだことを活かし、その道に進むだろうと思っていたところ、翼さんは「ブラジルに行こう!」と決心します。

もちろん学部長には「何を考えているんだ!いままでやったことを棒にふっていいのか!」と怒られましたが、ブラジルへ行く資金作りのために当時まだ青山にしかお店がなかったシュハスコ料理のお店、バルバッコア(Barbacoa)でバイトをし、ポルトガル語の勉強も始めました。

そして大学を卒業した翌年の2005年1月に、ブラジルのサンパウロ州へ行くことが決まりました。

ブラジル各地にボランティアで日本語教師を派遣している「だるま塾」の研修制度を利用して、日本語教師としてサンパウロ州へ行くことになりましたが、派遣先は選ぶことができません。場所によってはサンパウロ市内から2時間離れている学校もありますが、ここで幸運が訪れます。

なんと候補の中からサンパウロの繁華街に近い、サンバの盛んな地区の学校に決まりました。「平成学院」と呼ばれる日本人学校で、その場所こそが、現在所属しているサンバチーム、インペリオ(Império de Casa Verde)の地元だったのです。(インペリオの地区は、サンパウロの繁華街のリベルダージから電車で15分。バスで40分から50分くらい)もし派遣先がサンバのない田舎町だったら…。

2005年1月にブラジルに渡り、2月下旬には観客としてカーニバルを観戦。パレードの結果発表日は練習会場にしている地元の拠点に集まり、みんなで結果を待ちます。翼さんはこのときはまだメンバーではありませんでしたが、会場が閉まる前に入ることが出来たため、発表の瞬間を会場で迎えることができました。そしていよいよ最高峰のスペシャルリーグの発表…。優勝はインペリオ!!しかもスペシャルリーグで初優勝です。

この歓喜の瞬間を共に迎えた翼さんは、その興奮のさなか、会場にいたポルタバンデイラ(チームの旗を持って踊る女性)におめでとうと伝えに行き、つたないポルトガル語で「日本でメストリサラをやっています」と写真を見せたそうです。そのとき彼女はきょとんとしていましたが、このお祭りの最後に、翼さんの手を取って一緒に踊ってくれました。

こうして2005年のカーニバルも終わり、日本語教師としての日々の生活も順調で、日本語を教えるだけでなく、校長のやり方を学びながら運営の勉強もし、充実した日々を過ごしていました。

インペイオでメストリサラに?!

6月のある日、近所のお店で行われたパゴーヂ(楽器を持ち寄って気軽にセッションを楽しむこと)にパンデイロで参加していると、店員の娘さんが突然「あなた本当はメストリサラじゃない?」と尋ねてきました。話をしてみると、その店員の義理のお姉さんがあの優勝の時に一緒に踊ってくれたポルタバンデイラということが解りました。

さらに話を聞いてみると、そのポルタバンデイラ(女性)は、パートナーだったメストリサラ(男性)がチームと揉めて首になってしまい、新しいパートナーを探しているところでした。その彼女がどうしよう?とパッと思い出したのがあの時の日本人。「そういえば、優勝した日に日本人のメストリサラが来てたけど、どこにいった?連絡先がわからないのよ」と話題になっていたそうです。

それから連絡をとりあい、9月から10月ごろにオーディションを受けることになりました。1度目は何も覚えていないほど緊張してしまいましたが、2度目に幹部が気に入ってくれて「来年正式にうちで出たらいい」と言ってくれました。

こうしてサンパウロで日本人初のメストリサラが誕生しました。

あの優勝の日、たとえつたないポルトガル語でも気持ちを伝える勇気がなかったら、彼女の記憶には残らなかったはずです。

積極的に行動することで夢も叶う

翼さんは奇跡のような幸運をただ待つわけでもなく「どうしたらエスコーラの人と縁ができるのだろうか」と知恵を絞り、ポルトガル語がままならなくても様々なエスコーラに写真を握りしめては出かけ、教えてほしいと回り、積極的に動いていました。

他にもこんなことがありました。

地元のインペリオの一員としてどういう形でもいいからカーニバルに出るため、ダンサーではなくバテリア(楽器隊)の練習に参加していました。ところがその後、メストリサラになることが出来ました。初めてのバテリアとダンサーの合同練習の日。そのことを知らないバテリアメンバーは踊っている翼さんをみて「お前そこでなにやってるんだ」とびっくりされたそうです。

そして再び幸運が訪れます。

なんと前年に続き2006年もインペリオが優勝!!初めて参加したカーニバルで優勝するなんて、なんという強運でしょう。

このとき様々な媒体から取材を受け、新聞の一面にのるほど一躍有名に。日本人がメストリサラをやっている。これだけでもサンパウロでは話題なのに、さらに優勝したエスコーラのメストリサラが日本人!!となるとニュースになって当然です。

翼さんとしては普通にださせてもらっただけなのに、思いがけず目立ってしまい申し訳なく思ったそうです。ただ、そのおかげもあり、他のエスコーラに行くと覚えていてくれるので、すごく良くしてもらって、短期間でネットワークを広げる役にも立ったそうです。

↓優勝した2006年のパレードの様子

2年の赴任を終えて日本に帰国

2年が経ち、教師生活も無事に終わり日本に帰国しました。

ブラジルには再び行きたかったのですが、カーニバルに出場するためには数カ月前から練習に参加しなくてはなりません。普通に就職したのでは難しいこの状況をクリアするため、家族には申し訳なく思いながらも、スムーズに仕事がしやすくわがままもきく、実家の不動産屋で働くことに決めました。

日本とブラジルを行ったり来たりの生活は3年間と決め、宅建の資格もとり、しっかりと地元に根差しながら働きました。こうして、3月から11月は日本。12月から2月はブラジルという生活が始まりました。

日本でのサンバ活動は、リベルダージのメンバーとして浅草サンバカーニバル出場したり、チームの活動を行いながら、個人としてもスタート。2008年にはパシスタワークショップを開催し、震災の年だったので不安はありましがたが、コツコツと小さくサンバ教室を始めました。

サンバを仕事とするべきか?

不動産の世界で働き、約束の3年が経ちました。顧客も増え仕事も順調でしたが、特定の取引先が増えるにしたがって、3か月間(12月~2月)も抜けてしまう状況はこれ以上許されることではありません。今のまま不動産の仕事を続けるなら、やはりブラジルに行くのをやめるしかありません…。

そこで出した結論は、やはりブラジルでもサンバを続けていくという選択でした。

そうなると両立できる仕事を考えなければなりませんが、このときには2008年から始めたサンバレッスンの講師や衣装製作が形になっていました。こうして2011年に“VILA DO SAMBA”を設立し、サンバを仕事にする生活がスタートしました。

VILA DO SAMBAでは、サンバのダンスレッスン、衣装販売、ブラジル物品販売、楽器販売など、日本とブラジルの懸け橋となる活動を目指し、サンバをこよなく愛する多くの人たちのニーズに応えるべく様々なサポートを行っています。

2015年にはSTUDIO HANEBIもオープン、それまでは都内のスタジオを借りて行っていたレッスンも常設のスタジオができることによって気軽に行えるようになりました。また、活動の拠点となるスペースがあることによって、あらたな展開も見せ始めました。

ブラジルでは

ブラジルで所属しているインペリオでは、2009年には”Ala das Crianças(少年少女グループ)”の演出コーディネートを務め、同グループがサンパウロ最優秀賞を受賞(Estandarde de Ouro)。

2013年以降はチームの衣装製作支援、カザウ(メストリサラ、ポルタバンデイラのこと)やコミサォン衣装の羽根仕入れサポート、アレゴリア(山車)上のダンサーコーディネートなど、パフォーマーだけでなくチーム運営に関わり、そして2016年のカーニバルでは、見事に10年ぶりに優勝!!エスコーラの一員として長年活動しての優勝は感慨もひとしおだったと思います。

今ではチームで一番古いメストリサラで、パートナーのポルタバンデイラも6人目になりました。2019年に14年目のカーニバルを迎えます。これほどまで継続してブラジルに通い、カーニバルに出場し、チームの運営にもかかわる活動をしている日本人は翼さん一人ではないでしょうか。

↓優勝した2016年のパレードの様子



新たな世界へ 日本初のフェザーアレンジメント!

サンバと関わりながら新たな道を模索し、チャレンジしてきた翼さんですが、いまではサンバ以外の分野にも進出、ついにフェザーアートを専門とする株式会社羽美を立ち上げました。

事業内容はというと、サンバでも使用する羽をつかって、インテリアやテーブルデコレーション、ウェディング演出など、豪華な衣装を制作・販売・レンタルを行っています。

2018年7月開催された、FITNESS ANGEL 2018《 美尻コンテスト 》では、ステージパフォーマンスに関わる舞台演出製作に羽美が協賛しました。女性の美を強調するアイテムとして羽を使い、イベントをエレガントに盛り上げています。

羽というとサンバダンサーの衣装というイメージが強いですが、羽美の商品は美しさのあまり、商品というより作品と呼びたくなるほどクリエイティブでアート性が高く、羽の新たな可能性を感じさせてくれます。

サンバの衣装製作からスタートして、ここまで発展させるのは相当の苦労があったと思いますが、羽の美しさが一般に認知されることで、貴重な羽の価値やサンバ衣装の美しさもそれを着こなすダンサーの魅力も伝わり、より洗礼され、発展していくことにもなります。そういった意味でも今後の展開がとても期待されています。



Q&A 翼さんに質問

今回は翼さんにインタビューが出来るチャンス!ということで、サンバダンサーから事前に集めた質問にも答えていただきました。

Q.サンバといえば、リオというイメージですが、どうしてサンパウロに行ったのです?

「サンバだからリオに行こうとかは考えず、まずは日本語教師をメインに考えたのでサンパウロになりました」

Q.サンパウロとリオのサンバの違いは?

「リオのほうが歴史があり地域に強く密着しています。PORTELAやMANGUEIRAといった伝統エスコーラの歴史はもうすぐ100年、サンパウロではVAI-VAIが同等に歴史のあるサンバチームで地元密着の伝統の要素が強いです。ただ、サンパウロは大都市なのでサンバは文化活動の要素があり、いろんな情報があるなかで、サンバを選んでいる人が多くいる印象です。誰もがネットから情報が得られる情報化社会となるにつれ、サンパウロ・リオを問わず《選べる時代》に変化してきていると感じています」

■パレードに関して

「違いはいろいろありますが、パレード規模はリオもサンパウロも同じです。世界中から観光客の集まるリオは客数が圧倒的に多いです」

■山車(アレゴリア)

「山車はサンパウロのほうが高さがあり大きく(リオはアレゴリアの搬出搬入の際に高架下を通るため制限があります)、近くで見ると細かい仕上げや素材などクオリティもサンパウロの方が高いです。ただし、リオはサンパウロより会場が暗いので電飾をいっぱい使っています。そのため、近くで見た時のクオリティに関わらずアレゴリアに電飾が入った瞬間、全く別物に生まれ変わります。電飾を含めたアートという点で考えると、リオはやはり幻想的で煌びやかです。このトリックは素晴らしい!」

■バテリア

「リオはメンバー自身が地元出身中心で、密着感がありそのエネルギーが強くあります。演奏スタイルでいうと一時期サンパウロで遊び感のあるアレンジやバテリア全体のフォーメーションや簡単な振り付けを入れたりとモダンなチャレンジをよく見受けられましたが、最近は大きな違いは感じないです。あとはリオ・サンパウロ問わずどのエスコーラの音が好きか、という好みですね」

■パシスタ(ダンサー)

「パシスタはリオのほうが若々しくてアクティブ、年齢は10代・20代が中心ですね。サンパウロは20代・30代が多く、大人っぽくエレガント。ダンサー層はリオが圧倒的に厚みがありますが、トップダンサークラスともなると個性の違いとなってきますね。サンパウロのVAI-VAIでバテリアの女王を務めるCamila Silvaは現在リオのMOCIDADEのバテリアの女王も努めます。地域というよりどの時代にどんな素晴らしいダンサーが生まれ出るかにいつも感心があります。」

■メストリサラとポルタバンデイラ

「リオはより自由ダンスに加えて振付パターンが多く、サンパウロは振り付けが少ない。これは審査項目の違いで、リオは審査員の前でパフォーマンスがあり、振付をどれだけ完璧にこなせるかが大事なポイントになります。審査員席前以外のパフォーマンスは評価されません。サンパウロはパレードの進行は止めてはいけないので、審査員前では止まらず進みながらのパフォーマンスをすることになります。もちろん振付はありますけど、ステージ感はないです。あくまでパレードの中の振付になります。そこが大きな違いです。もうひとつ違いをあげるとしたら伝統重視の度合いです。知らない人も多いのですが、カザウに関してはサンパウロの方が風習や起源を大事にします。旗の扱い方、挨拶の時の頭の角度、ダンスの際のNG項目など、リオより厳しいです。リオはパレード審査の影響で振り付けやクリエイティブなパターンが増え、その分、日常でも自由度が多くなる。サンパウロは伝統重視を大切にしている、そんな不思議な状態となっています。」

■観客、テレビ、その他

「コミサォン・ヂ・フレンチ、あるいはカザウの振り付けが見られる審査員席付近で観戦する場合、あるいはその振り付けを終始視聴できるテレビで観戦する場合は、リオがとても面白いです。ただし、審査員席前以外で観戦する場合は、パレードが途中で約5分、それが4回ストップしますのでその時間帯は退屈です。サンパウロはパレードがストップしませんので、どの席で観戦しても均等に面白いです。PA音響はリオの方がよく、観戦していて心地よく、会場の照明はサンパウロが明るく会場全体が輝きます。会場の構造上、演者と客席が近いのはサンパウロです。

リオがカーニバルのルーツで、サンパウロはそれを後ろからついていくというイメージがブラジルの中でも今だにあるんですけど、個性の違いもあり、レベルが変わらないところ、サンパウロが優れているところもありますが、資金の面では圧倒的にリオが充実しています。ただ、リオの資金をサンパウロで使ったら、さぞ凄いパレードになるとよく言われています。10年後20年後はどうなるかといえば、サンパウロにはオーガナイズ力があるのでリオに追いつくかもと言われています。ただ、時代の変化の波に圧されず、ルーツ・伝統・重みが揺るがなければ、このまま世界のリオデジャネイロとしてカーニバルをリードしていくのではないでしょうか。

10数年サンパウロにいて、基本的には常にリオをリスペクトしています。サンパウロでやっているからこそ分かるサンパウロの優れているところを感じているので、そこを日本の方にも分かってもらえたら嬉しいですね」

Q.どうして、メストリサラになったのですか?

「ソロは気楽だけど、チームの旗を守ったらより充実感があるのではないかと思いました。ダンスというより、演劇、アートという要素が強く、自分を通して旗をみせる。自分が目立ちたい人はあわないポジションだと思います」

Q.おすすめのスポットは?

1.「Picanharia do Gaúcho(ピッカニャリーア・ド・ガウーショ
サンパウロで近所の串焼き屋さん。ピッカーニャは今まで食べたなかで一番美味しい!!
http://www.dogaucho.com.br/

2.「Pico do Jaraguá(ピコ・ド・ジャラグア)」
山の展望台からサンパウロが一望できます。ふもとにはインディオの集落跡があり見学できます。

4.「Aparecida(アパレシーダ)」
ブラジルの守護女王、聖母アパレシーダを祭るとっても大きな大聖堂。南米各地から多くの人が参拝に訪れます。リオとサンパウロの間にあり、サンパウロからバスで2時間くらい。日帰りもできます。リオ~サンパウロ間を移動する途中に見えますが、降りたいときはアパレシーダ行きのバスに乗ってください。

5.「Angra dos Reis(アングラ・ドス・レイス)」
リオから130km南にある日帰り旅行にもぴったりの海に面したリゾート地。クルーズ船で島々巡りを楽しみましょう。リオの主要ホテルからツアーバスが出ているので、チケットを買って乗るだけ!

6.「Armação dos Búzios(アルマサン・ドス・ブージオス)」
こちらも日帰り可能なビーチリゾート。治安もよく、ホテルに泊まって、ショッピングやレジャーなど、美しい景色の中で本格リゾート地ならではのリラックスした時間を過ごすことができます。リオの喧噪を離れて1泊旅行に出かけたいときにもぴったり。こちらもリオの主要ホテルからツアーバスが出ているので、チケットを買って乗るだけ!

Q.サンバが上達するには?

「サンバを好きになればなるほど吸収力が変わります。もともとサンバは遊びなので本気で遊ぶ心が大事です」

Q.これからのサンバ界はどうなりますか?

「ブラジルは情報社会になって、若手の意識が散漫する中でサンバの位置づけがどうなっていくのか。若い人がサンバをやっていく考えが昔よりもフラットになって、ニュートラルになっています。今後は若い人が係われるチームはどんどん成長していき、伝統を守っていく若手次第でさらに変わっていきます。神輿と同じで、若手が入ってくるほど賑やかになっていきます。

カーニバルが商業化していることもありますが、表現が自由になっています。コミサォンや山車とか振付とか、オペラ化・ミュージカル化して洗礼されレベルが上がってきています。サンバで生まれ育っていない人でも活躍できるようになっています。他の要素を取り入れ良いものを作るのに中の人間だけでなく、外の表現を受け入れていくようなチーム作りも進んでいっています。

コミュニティが支えるチームと外組織が支えるチームが混ざってレベルが上がります。例えばコミサォンを外に依頼したら、レベルが上がる。自分たちのキャパシティではそれ以上にはなれません。これは日本でも同じですね。

歌手、コミサォン、パテリアを仕切る人、振付師、カルナバレスコ、レベルを上げる必要があるところほどお金がかります。クオリティをあげ商業化しているチームほどパフォーマンスは上がります。土台はコミュニティなのでそこが崩れてしまってはダメですが、ブラジルはよりエンターテイント化していきます。日本もブラジルを追っているので、クオリティを上げていくということはあります。日本ではコミサォンは得点にはなりませんが、リベルダージではクオリティを上げるようにしています」

↓リベルダージのコミサォン。2018年 浅草サンバカーニバルのテーマは「博物館 ~古代王朝への憧れ」!!

Q.浅草で優勝するにはどうしたらいいですか?

「優勝するチームにはしっかりとした組織力とマンパワーがありますね。そうでないと、衣装を作り終えたら、ただ演じて終わりになってしまうので、隅々まで目が届くことが大切だと思います。」

Q.サンバを仕事にするとどうしても狭い範囲から収入を得なくてはなりませんが、人に求められ長く続けていくうえでポリシーにしていることはありますか?

“誰にでもフェア 人に出来ないことはしない”

「何かをする時には、他の人には出来ないことであればルール化して、そこから外れないようにすることが必要です。自分で決めたことに沿わないことはしない。仕事と趣味は区分けして、ごっちゃにならないようにする。信念をもってそれはないって言える状態をつくることが大切だと思います」

Q.翼さんにとってサンバとは?

“ライフ・Vida”

「サンバとは自分のエネルギー、生命力であり、生活の支えでもある。カーニバルも創作活動であり、ダンスも衣装も無いものを作る。自分のライフワークで、それがないとしぼんでしまいます。まさしくライフでありVida。カーニバルは必ずぐるぐる回っています。新しく作るものが永遠に続く、この永遠性の中に身を置けている充実感があります。大げさでなく、現実的にそう思います」

インタビューを終えて

落ち着いていて、紳士で優しい翼さん。人柄がとてもまろやかで、どんな質問でも丁寧に答えてくれて、同じような質問でも意図を理解してくれて、何回も違う角度から答えてくれる。それも理路整然としています。溢れるエネルギーをそのときの目標にむけて、一歩一歩確実に進んでいく印象を受けました。とにかく動く。やりたいことを見つけたら、自分から動いて道を切り開く。

ブラジルでカーニバルに出場することだけでも大変なことだと思いますが、そのなかでメストリサラという普通であればブラジル人が務める大切なポジションを担当し、さらに運営にも携わっているのはチームから信頼されて愛されて、そして相当タフでポジティブなマインドが必要だと思います。

サンバのステップワークとか、だいたい思い通りに動くのはサッカーのおかげということでした。すべてはつながっているんだなと改めて思いました。

このようにこれまでの歩みを聞いていると、運を引き寄せるのも自分次第のように思います。翼さんにとって“将来こうなりたいと思うこと”は夢ではなく、たんに実現できる目標なのかもしれません。

今回は、サンバのこと、衣装のこと、羽のこと、サンパウロのこと、リオのことなど、いろいろ教えていただきました。若いダンサーも着実に育っているそうです。

「サンバを初めてみたい、衣装をつくりたい、サンパウロのカーニバルにでてみたい、羽のお仕事に興味がある・・・」など、そんなときは、なんでも揃う翼さんの元へ訪ねてください。最良の方法を優しくアドバイスしてくれると思います。

↑2019年の優勝を目指して、Império de Casa Verdeに集結!


株式会社羽美 official site
PRODUCE THE BEST OF FEATHER ART
https://www.hanebi.com/

VILA DO SAMBA
サンバのダンスレッスン、衣装販売、ブラジル物品販売、楽器販売など。
https://www.tsubrasil.com/

VDS FANTASIA
ステージ衣装、背中の羽根(背負い羽根)、サンバ衣装、サンバシューズの製作・販売の専門アトリエです。
https://www.vdsfantasia.com/

STUDIO HANEBI
https://www.studiohanebi.com/

リベルダージ(G.R.E.S Liberdade)
http://www.gres-liberdade.com/



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